メジャーの背番号42を永久欠番にしたジャッキーロビンソンの功績と成績

メジャー(MLB)の背番号42を永久欠番にした男・ジャッキー・ロビンソン。

ジャッキー・ロビンソン選手はすでに亡くなっており、
その功績や成績を知ってる人は少なくなってきてます。

本記事ではメジャーの背番号42を永久欠番にしたジャッキー・ロビンソンの成績と功績、
そして、どのような人物だったのかをまとめていきます。

メジャー初のアフリカ系アメリカ人選手となったジャッキー・ロビンソン選手。

この功績も本当にすごいことなんですけど、
1人の野球選手として残した成績もとんでもなかったんですよね。

メジャーの背番号「42」が永久欠番になるのは、当然のことなんだと思います。

メジャーの背番号42は永久欠番

ジャッキーロビンソン引用元:週刊ベースボール ONLINE

メジャーで背番号42は永久欠番になってます。

日本プロ野球でも読売ジャイアンツの背番号1や背番号3などが永久欠番になってるので、
そこまで珍しさは感じないですよね。

でも、メジャーの背番号42の永久欠番はスケールが大きく違います。

なんと、メジャーの全球団・30球団で背番号42は永久欠番になってるんです!

メジャーリーグで背番号42を付けてる選手はいないんです。
それはとんでもないことだね。

 

これだけでもジャッキー・ロビンソンがどれだけ偉大だったのかわかりますよね。

最初はロサンゼルス・ドジャース(当時はブルックリン・ドジャース)で初の永久欠番となり、
ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー50年目に全球団で共通の永久欠番になってます。

メジャー最後の背番号42は、
MLB通算652セーブのマリアノ・リベラ投手です。

 

50年後に全球団の永久欠番になるのも偉大すぎますよね。

そして現在、ジャッキー・ロビンソンの偉大なる功績を忘れないように、
毎年4月15日にMLB選手全員が背番号42でプレーをしてます。

メジャーでの背番号42は、とてつもなく偉大なる番号なんですよね。

 

巨人の永久欠番についてはこちらで解説してます。

メジャー背番号42を永久欠番にしたジャッキーロビンソンの功績

メジャーの全球団で背番号42を永久欠番にしたジャッキー・ロビンソン。

果たして、ジャッキー・ロビンソンはどんな功績を残したのか?

ジャッキー・ロビンソンは現役時代にも引退後にもさまざまな功績を収めましたが、
そのなかでも大きな功績を3つに絞ってお伝えします。

・メジャー初のアフリカ系アメリカ人選手

・新人王を獲得

・6年連続で3割達成とオールスター出場

それでは1つずつお話します。

メジャー初のアフリカ系アメリカ人選手

まず1つ目のメジャー背番号42を永久欠番にしたジャッキー・ロビンソンの功績は、
アフリカ系アメリカ人で初めてメジャーリーガーになったことです。

これがジャッキー・ロビンソンの最大の功績です。

 

今もなおアメリカでは人種差別があったりしますが、
ジャッキー・ロビンソンが生きていた時代は本当に酷かったんです。

ジャッキー・ロビンソンはドジャースの一員になるまえに、
マイナーリーグのモントリオール・ロイヤルズに入団します。

そのときにジャッキー・ロビンソンの味方は、ドジャースの会長のみ。

スカウトや他の球団関係者はアフリカ系アメリカ人を入団させるのに賛成はしておらず、
会長が入団させると言うから、泣く泣く許したという感じだったそうです。

最初から敵ばかりだったってことね。

 

それだけではありません。

当時のマイナーリーグでは白人と黒人が一緒にプレーするのを禁止してたり、
幾度もなくジャッキーロビンソンに対して挑発行為をしたりしていたそうです。

それでもジャッキー・ロビンソンは負けず、マイナーリーグで成績を残し、
メジャーリーグチーム・ドジャースに入団します。

ここまででもすごい功績ですよね。

 

しかし、ドジャースに入団してもからもジャッキー・ロビンソンの試練は続きます。

ドジャース以外のメジャーリーグチームはアフリカ系アメリカ人がプレーするのを反対、
なかにはジャッキー・ロビンソンが出場するなら試合をしないと言ってきたんだそうです。

さらにドジャースのチームメイトもジャッキー・ロビンソと一緒にプレーするのを嫌がり、
トレードを志願したり、ジャッキー・ロビンソンを追い出すための署名活動をしたりと。

野球以外の試練と戦いながら、ジャッキー・ロビンソンはプレーしていました。

無視とか罵声を浴びせるとか、
そういう次元ではないんだね。

 

そんな試練を乗り越えながら、ジャッキー・ロビンソンは野球で結果を残し、
チームメイトに認められ、メジャーリーグにも認められていきます。

想像絶する環境のなかで結果を残し、
アフリカ系アメリカ人がメジャーで活躍できる土台を作ったジャッキー・ロビンソン。

これがジャッキー・ロビンソンの最大の功績です。

新人王を獲得

つづいてのジャッキー・ロビンソンの功績は、新人王の獲得です。

ジャッキー・ロビンソンはメジャー1年目に、
打率.297、本塁打12、打点48、盗塁29の成績を残し、新人王に選ばれます。

ときにはピッチャーに頭を狙われたり、守ってるときに足を蹴られ負傷したりと、
ラフプレーが横行してるなかで、見事な成績を残したんですよね。

ちゃんとした時代だったら、
もっと良い成績を収めてたかもしれないね。

 

驚きなのが、メジャーリーグに「新人王」のタイトルができたのが、
ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグデビューした年ということ。

つまり、メジャーリーグで初めての新人王がジャッキー・ロビンソンなんです!

永久欠番になるくらいの選手は、
こんな偶然も兼ね備えてるんだと思います。

 

そのためメジャーリーグでは、新人王をジャッキー・ロビンソン賞と言ったりもします。

6年連続で3割達成とオールスター出場

3つ目のジャッキー・ロビンソンの功績は、
6年連続で打率3割の達成とオールスターの出場です。

チームメイトからも他球団からも嫌がらせをされ、
試合中も故意にデットボールを当てられたり、スパイクで足を蹴られたり。

こんな不遇すぎる状況をジャッキー・ロビンソンは乗り越え、
1949年〜1954年までの6年間、打率3割以上を記録してます。

もう考えられないよね、凄すぎるよね!

 

しかも、同じく1949年〜1954年までの6年間、オールスターにも出場。

デビュー当時の世間からの風当たりを見事に吹き飛ばし、
野球の実力で周りを黙らせ、人気も集めていったジャッキー・ロビンソン。

ジャッキー・ロビンソンの6年連続で打率3割達成とオールスターへの出場は、
たとえ同じ年数で同じ成績を残した選手が今後出てきたとしても勝てない功績です。

もちろん、引退後にもジャッキー・ロビンソンはさまざまな功績を残しています。

メジャー背番号42を永久欠番にしたジャッキーロビンソンの成績

つづいてメジャー背番号42を永久欠番にした、
ジャッキー・ロビンソンの成績をお話します。

シーズン毎の細かい成績は他でも紹介してるので、
際立って凄かったジャッキー・ロビンソンの成績をまとめます。

・最高打率:.342(1949年※3年目シーズン)

・最高盗塁数:37(1949年※3年目シーズン)

・最高本塁打数:19(1951年※5年目シーズン、1952年※6年目シーズン)

・最高出塁率:.440(1952年※6年目シーズン)

見事な成績ですよね。

とくに1949年、ジャッキー・ロビンソンがメジャー3年目シーズンは、
キャリアハイの打率と盗塁数を記録してます。

1952年にはキャリアハイの本塁打数を記録しつつ、最高出塁率も残してます。

この年のジャッキー・ロビンソンも凄かったんだろうね!

 

また、ジャッキー・ロビンソンが生涯で獲得したタイトルはこちらです。

・新人王(1947年※1年目シーズン)

・首位打者(1949年※3年目シーズン)

・盗塁王(1947年29盗塁※1年目シーズン、1949年37盗塁※3年目シーズン)

・リーグのシーズンMVP(1949年※3年目シーズン)

このような成績から分かるのは、
ジャッキー・ロビンソンは俊足でアベレージが残せるバッターだったということです。

守備のほうはメジャーリーグに挑戦するまえはショートでしたが、
スローイングに難があり、ファーストやセカンドを守ってました。

ファーストといえば、強打者が守るイメージの強いポジション。

他にも強打者はいたと思いますが、
そのなかでも勝ち取れたということは、相当な選手だったのがわかります。

ジャッキーロビンソンとはどのような人物だったのか?

偉大な功績と成績を残したジャッキー・ロビンソン。

アフリカ系アメリカ人に対する様々な試練を”紳士的な振る舞い”
乗り越えてきたと言われていますが…。

どうやらジャッキー・ロビンソンの根本の部分は少し違ったようです。

最後にジャッキー・ロビンソンとは、
どのような人物だったのか考察してみたのでお話します。

ジャッキー・ロビンソンは軍人の経歴を持ってました。

そのときに1度、軍法会議にかけられています。

軍方会議とは、軍隊の裁判所のようなものです。

 

その理由は、当時の人種隔離に対する反抗です。

当時のバスには黒人専用の席があり、
白人の運転手がジャッキー・ロビンソンに移動するように伝えました。

それをジャッキー・ロビンソンは拒否し、その行為によって軍方会議にかけられたのです。

当時の陸軍では、
バスのなかでの人種隔離は禁止していたそうです。

 

このようなエピソードからジャッキー・ロビンソンは、
人種隔離に対して決して穏便な姿勢をしていたわけではないとわかります。

また、これは映画42 〜世界を変えた男〜』のなかでの話ですが、
チームがガソリンスタンドに寄ったときにトイレには白人専用と書いてありました。

当時のトイレには、
白人専用と書いてあるところが多かったそうです。

 

ジャッキー・ロビンソンはそれを知っててトイレに行こうとすると、
ガソリンスタンドの店員に「使うな」と一蹴されます。

その発言を受けてジャッキー・ロビンソンは、
「給油をやめろ!違うガソリンスタンドに行く」と言い返しています。

いくら映画と言えでも嘘のエピソードは入れないと思うので、
ここからも当時の人種隔離に対して怒りを感じていたジャッキー・ロビンソンの心境を伺えます。

つまり、ジャッキー・ロビンソンは人種隔離に対して相当な怒りの持ち主だったのにも関わらず、
メジャーリーグでの様々な試練に対しては、紳士的な振る舞いをしていたとうことです。

どれほどの葛藤、怒りがあったのかは常人には想像できません。

やり返さない勇気を持つ

ジャッキー・ロビンソンといえばこの言葉が有名ですが、
ジャッキー・ロビンソンの人物像を考えると、この言葉を守るのは尋常ではなかったと思います。

ジャッキー・ロビンソンは功績を残した名選手!

メジャー(MLB)の背番号42を永久欠番にした男、
ジャッキー・ロビンソンの功績と成績をお話しました。

メジャー初のアフリカ系アメリカ人選手であるジャッキー・ロビンソン。

その功績も当然すばらしいのは間違いありませんが、
野球選手としての成績も当時のメジャーリーガーのなかでトップクラスでした。

まさに功績も成績も残した名選手だったのです!

これからもジャッキー・ロビンソンの功績や成績が語り継がれ、
メジャーリーグのパイオニアの象徴として、生き続けてほしいですね。

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