京都国際高校・小牧憲継監督の経歴は元銀行員で因縁の対戦相手だった

京都国際高校を京都府の強豪校へと育てた名将・小牧憲継監督。

実は京都国際高校の監督に就任するまでの経歴がドラマチックなんです。

選手時代は京都国際高校の因縁の相手であり、プロを諦めて銀行員をしていた時代があり、
ひょっとした縁で京都国際高校のコーチに就任し、監督になっています。

小牧憲継監督の指導方針は名将です。

 

本記事では京都国際高校の小牧憲継監督の経歴を選手時代や銀行員時代、
コーチ時代や監督時代にわけてお話してきます。

選手の可能性を広げる指導方針は、もう少し高校野球に広まってほしいですね。

京都国際高校・小牧憲継監督の経歴まとめ

まずは簡単に京都国際高校・小牧憲継監督の経歴をまとめました。

それぞれの時代の詳細は後ほどお話しますが、
就職してからのコーチ就任がめちゃくちゃ早いんですよね。

滋賀銀行を半年で辞めたらしいよ。

 

しかも、京都国際高校のコーチになってからの監督就任も1年というスピード。

もうこの時点で小牧憲継監督は京都国際高校の監督になるべくしてなった、
みたいなイメージしか湧いてきません。

そして、最近強くなったとうに思える京都国際高校ですが、
実は10年以上の下積み時代があったんです。

ここに名将の匂いがしますよね。

 

それでは1つ1つの時代をまとめていきます。

京都国際高校・小牧憲継監督の選手時代

まずは京都国際高校・小牧憲継監督の選手時代です。

小牧憲継監督の選手時代は、右投げ左打ちの内野手でした。

出身高校:京都成章高校

出身大学:関西大学

それでは1つずつお話していきます。

京都成章高校時代

京都国際高校・小牧憲継監督は、京都成章高校に進学してます。

京都成章高校時代は1年生からセカンドでレギュラーを獲得し、試合に出場していたそうです。

強豪校で1年生からレギュラーは凄いね。

 

そしてなんと!

小牧憲継監督は京都成章高校時代に後に監督に就任する京都国際高校と試合をしていたんです。

1999年、京都国際高校(当時は京都韓国学園)に硬式野球部が誕生。

その年に小牧憲継監督は京都成章高校でレギュラーセカンドで京都韓国学園戦に出場し、
0―34」で圧勝しています。

京都国際高校の初の夏の大会で対戦してたんです。
縁を感じますよね。

 

高校2年生のときに京都大会で優勝したそうですが、
春の県大会だったのか甲子園出場はならず、高校3年生でも届かなかったみたいですね。

関西大学時代

京都国際高校・小牧憲継監督は、京都成章高校を卒業後に関西大学に進学します。

関西大学といえば関西六大学リーグの顔となる野球部。

小牧憲継監督ご自身は「幽霊部員」とか「へたくそでした」など謙遜してるみたいですが、
関西大学で野球をできるだけでも野球人からするとエリートです。

同級生には元阪神の岩田稔投手がいたみたいだよ。

 

怪我が多かったみたいなので、大学時代にはフルパワーで野球ができなかったのかもしれませんね。

プロ野球選手を諦めた」と言ってるくらいなので、相当の選手だったと思ってます。

京都国際高校・小牧憲継監督の銀行員時代

京都国際高校・小牧憲継監督は関西大学を卒業後、銀行員になります。

滋賀銀行だったそうです。

地銀は就職先として手堅いですね。

 

ところが…!

滋賀銀行に就職したときから京都国際高校に野球を教えに行っていたそうです。

このきっかけも縁を感じるんだよね。

 

なんでも小牧憲継監督の京都成章高校時代に京都韓国学園の中学校出身の同級生がいたみたいで、
しかも京都成章時代に対戦した京都韓国学園の監督が小牧憲継監督を覚えていたそうです。

その2つの縁がきっかけで関西大学を卒業後に京都国際高校に指導に行きだしたんだとか。

そのままの流れで滋賀銀行で行員をしつつ、京都国際高校で野球を教えていたそうです。

京都国際高校・小牧憲継監督のコーチ時代

京都国際高校・小牧憲継監督は銀行員になりましたが…、

わずか6ヶ月で退職してしまいます。

手堅い就職先なのに…です。

 

そして、すぐに京都国際高校の指導員となり、その4ヶ月後には正式にコーチになったそうです。

このスピード感があるのは当時の監督の不祥事が関連してるみたいですが、
要請を了承してしまう小牧憲継監督の決断の早さのほうがびっくりしますよね。

それから京都国際高校・小牧憲継監督が誕生するのも早かったんです。

京都国際高校・小牧憲継監督の監督時代

京都国際高校・小牧憲継監督がコーチになった1年後、すぐに監督になります。

1年で監督なんて、相当信頼されてたんだね。

 

小牧憲継監督の指導方針は「次のステージでも活躍できるようにする」ことだそうです。

なかなか出来る方針ではありません。

 

甲子園を期待されてる高校野球の監督は、どうしても勝利を求められます。

そのため個人の能力を伸ばすより、チームとしての強さを強化しがちです。

バントやエンドランの練習を多めにしたり、トリックプレーを教え込んだり、
その他の小技をさせたりとチームで勝つための練習が多くなります。

別にこれが悪いわけじゃないよ。
勝つことでしか得られないものもあるから。

ですが野球は「ボールを速く投げる」「遠くまで飛ばせる」「足が速い」「ボールに当てるのが上手い」
「どんなボールでも捕れる」など、基本的な能力が最終的には大切です。

チームの勝利を優先した練習に時間を費やしがちな高校野球では、
選手の本来の力が育ちにくい環境になってるんですよね。

チームの勝利か選手の可能性か、
強豪校になるほど選択は難しいです。

 

小牧憲継監督がチームの勝利よりも選手のレベルアップを指導方針にできるのは、
本気でプロ野球選手を目指していた選手時代があったからなんでしょうね。

才能溢れる高校生たちがどうすればプロ野球選手に近づけるのか?

これがベースにあるんだと思います。

その結果、小牧憲継監督のもとには素晴らしい選手たちが集まってるので、
常に甲子園を狙えるチームの循環もできてるんでしょうね。

 

京都国際高校の校歌の和訳はこちらで解説してます。

京都国際高校・小牧憲継監督は名将!

京都国際高校・小牧憲継監督の経歴をお話しました。

小牧憲継監督の選手時代は京都国際高校にボロ勝ちをした因縁の相手であり、
プロ野球選手を本気で目指していました。

ですが怪我に悩まされてプロ野球選手を諦め、滋賀銀行に就職。

ところが、縁があって京都国際高校のコーチとなり、監督となり、
甲子園出場監督となり、現在は多くの高校生をプロ野球選手に育てあげています。

甲子園で勝つことが、全国制覇をすることだけが名将ではないと思います。

高校生の未来を広げる小牧憲継監督もまた名将です。

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